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「甘えたい」


 リーオがそう呟いてみれば、本を読んでいたエリオットがはぁ?と声を上げた。
 エリオットは律儀だ。
 こちらが、何の気なしに口にした言葉でも、何らかの反応を示してくれる。彼なりに考えてから返事をしてくれる。それは、時々、的外れだったりもするけれど。 でも、それすらもエリオットらしいから、それでいいと思ってしまう。
「いきなり、何だ」
「うん? 膝の上に乗って、君に頬擦りしたり、それから、すごくデレデレしてる君に頭とか背中とか撫でられたりしてみたいかな、って話」
 そう言って、にっこりと笑ってみれば、一瞬固まったエリオットが、みるみるうちに真っ赤になった。
 その内容に覚えがあるのだろう。
 当然だ。あれは、ほんの一時間程前の出来事なのだから。
「って、おまえ、どこから見てた!」
「え? 五メートルくらい離れた花壇脇の茂みから?」
「居たのかよ! じゃなくて、人の行動の、どのあたりから見てたかって話だ!」
「そうだね。子猫が一匹ないてるのを見かけた君がそろそろと近づいていって、そうしたら、もう二匹茂みから出てきて、君の顔がデレデレになった瞬間くらいからかな」
 つまりは、最初からと言うのかもしれないけれど、別段、非難される覚えはない。
 いつまで経っても、戻って来ない主人を探しに行くのは、従者にとって普通の行動だ。
「で、デレデレなんてしてねぇだろ」
 そう返してくるエリオットの言葉は、いつもより歯切れが悪い。
 目を逸らしてる時点で、自分の口にした言葉が、事実とそぐわないものだったと自白しているようなものだ。
「してたしてた。もう、君さ、おとなしく猫大好きってお姉さんに言っちゃえば? お姉さんだって、君が猫耳でも付けて帰れば、あっさり猫派になるだろうから、屋敷でも猫飼い放題だよ」
「そんな恥さらしな事が出来るか!」
 半分冗談、半分本気で言ってみれば、予想通りの言葉がすぐに返ってくる。
ああ、こういうのって毛を逆立てた猫みたいな怒り方かも、なんて、考えてみる。
「面白いと思うんだけどなー」
「リーオ!」
 エリオットは嫌がるだろうけれど、猫耳でも、うさぎ耳でも適当につけて帰れば姉のヴァネッサは本当に大喜びで出迎えてくれる気がする。
リーオの主観でなく、客観的な事実として。ヴァネッサがエリオットに向ける愛情は、深いし、盲目的だ。 それは、彼が彼女に残されたたった一人の実のきょうだいだからかもしれないし、弟に対する庇護欲のようなものかもしれない。
 彼女は、彼が望むものを、出来得る限り与えようとするだろう。
ただし、それが「エリオットにふさわしくない」ものでなければ。
そう付け加えるよう必要はあるけれど。
あれほど明確に向けられる敵意に気付かない程、残念ながらリーオは鈍くはない。
 でも、彼女がエリオットに向ける愛情が本物で、彼がエリオットを大事にしているのなら、それは大した問題ではない。
 エリオットを大事にしたくて、彼を傷つけるものを疎む気持ちは、「理解」出来る。
 だから、リーオは敵意を向けられても、敵意で返す気にはならない。それだけだ。
 こんな時、薄く笑んだ表情の意味に、エリオットは、きっと気付かない。
 それでいいとリーオは、いつだって思っている。
「そんなに照れなくてもいいのに。ああ。もし用意したくなったら言って。ツテはあるから」
「あるのかよ!」
 これは冗談だけれど。
 リーオは心の中でだけ、返す。
 まあ、本当に必要ならどこでも手に入るだろう。世の中と云うのは、随分といろいろな商売がある。
エリオットと外の世界を見るようになってから、いろいろなものが目に入るようになった。
知識ではなく、実体としてのものが。
物も、人も、感情も。
 それは、煩わしくもあるけれど、それだけでない事も知っている。
 はぁ……とエリオットが大きく息を吐いた。
「で?」
 そして、短く、そんな言葉を吐いて、リーオを見る。
「エリオット?」
 薄青い彼の瞳が、自分を中心に世界を見ている。
 リーオの返事を待って、エリオットが続けた。
「言いたいことは、まだあるんだろ」
エリオットのまっすぐな瞳には、いつだってひかれてしまう。彼の瞳に見つめられると、何となく、自分からは、逸らしたくないような気持ちにさせられる。
   こんな時に、それは少し不便だ。
 誤解されがちだけれど、彼は、本当に聡い。
 感心して、同時に、溜息の一つでもつきたくなる。
「……君の鋭い所って、もっと別の所に生かした方がいいのにね」
「悪かったな」
 そうは言うけれど、エリオットは、本当にそれを悪いとは思っていないだろう。
 リーオも勿論、思っていない。
 エリオットのこういう所が、好きなんだろうな、とリーオは思う。
 エリオットの事が好きだ。
 そう思うのは、もう、当たり前のようになっている。
 彼をからかって遊ぶのも、多分、好きで。
 そして、それは、彼のいろいろな反応を見るのが好きだからだと思う。
 怒って、慌てて、それから、向けてくる感情の波が。
 いつだって、心地いい。
「甘えたいんだよね。僕も」
「あ?」
 出来る限り平静を装ってリーオが言ってみれば、エリオットは怪訝そうな目を向けて首を傾げている。
(ああ。そうか。もっとはっきり言わなきゃダメか)
少し、言葉が足りなかったらしい。
リーオは反省する。
 言葉遊びを楽しむようなお付き合いは、まだ彼には無縁だ。
 そんなもの、一生覚えなくていいと思うけれど、それはリーオの口を出すべき問題ではない。
 だから、とりあえず、今は思いっきりストレートに言ってあげようとリーオは思う。


「うん。だから、やきもち?」


 首をエリオットの同じ方向に傾げてみながら、笑って言ってみれば、エリオットの顔が、また、みるみるうちに赤くなる。
「や?」
「そう。やきもち。たぶんね」
 膝の上に乗って、君に頬擦りしたり。
それから、すごくデレデレしてる君に頭とか背中とか撫でられたり。
 それが、すごくうらやましかったのを、多分、君が一番、理解していないだろうけれど。
 ゆっくりと、そう言ってみれば、エリオットはリーオをじっと見て、口を閉じた。
「あの猫たち、可愛かったね。僕と違って」
 彼が口に出す言葉を聞くのが少しだけ怖くて、その口が開く前に、そんな事を言ってみる。
(可愛い事って、言われて出来るものじゃないし)
 ふわふわの子猫たちの事を思い出す。
 リーオにはエリオットと違って特に犬でも猫でも、拘りはない。
 それは、特別に好きでもないと云う事だけれど、客観的に見て、あの子猫たちが、可愛い仕草を、自然に振りまいていた事だけはわかる。
ああいう仕草は、多分、絶対に出来ないだろうなと、そうも思う。
 少しだけ、長い沈黙の中、エリオットは何を考えているだろうか。そう思いながら、そっと視線を戻してみれば、見つめる先のエリオットの頬は、うっすらと赤いままで。
 リーオの視線に気づいた、その唇が、微かに動いた。


「…………お前の方が、可愛い」


 それは、いつもの彼からすれば、とても小さな声で。
「うわ。物好き」
 思わず出たのはそんな言葉だったけれど、もう、どうしようもなく甘えたくなったのを、君はどうやって責任をとってくれるだろうか。



……エリリオ的に定番猫展開、な話をきっと書きたかったはず。
たぶん、この話にエリオット視点の「あまやかしたい」を+して、2011年10月のSPARKでコピー本が出ます。




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