サロメの刻印3 2004,6,14up

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『どうして?どうしてそんな事言うの?』
どうしてって…?ただ、私は思ったまでを言ったまでです。
『貴方が、貴方だけが私の思いをわかってくれる人なのに!ずっとそう思ってたのに!』
瞳先輩!?
『もう、もういい!!』
赤褐色の世界。セピア色の記憶。頭が、痛む。聞き取れない声。張り上げられた声…。

『どうして、私を拒むの!?』

拒む…?そう、拒む。それは。それは…。そう…しなければ…。

  

窓の外には月が出ていた。目の前には見慣れた部屋。時計の針は二時半を指している。
(…何の夢を見ていたんだろう?)
梨乃は痛む頭を押さえて起き上がった。
梨乃の部屋は二階にある。音を立てないようそっとドアを開けると階下からの光が階段を薄く染めていた。
「……お母さん…。まだ、起きてたの?」
明かりが漏れていたのは一階の居間からだった。
「…ええ。ちょっと仕事が残っていたから。梨乃ちゃんこそ、どうしたの?」
梨乃の母、秋乃はある製薬会社の会長秘書をしている。かなり大手で梨乃もよく耳にする会社だ。そのため、三人いる秘書はいつも仕事の調整に追われているらしかった。 自然、母親と接する時間も短いものとなり、梨乃が一人で過ごす時間は多かった。
数日間メールだけで会話する事も珍しくないほどだ。
「眠れなくて。…また少し頭が痛むみたいだったから薬を取りに」
「…大丈夫?」
その問いに曖昧に頷きながら梨乃は戸棚を開けて個包装された薬を二錠取った。包装紙には何の刻印もない。市販の薬ではないからだ。梨乃の偏頭痛は昔からだった。薬が効き難い体質なのか、一向に治まらない頭痛に母親の勤め先の研究室がサンプルとして回してきたものがこれだった。
くれぐれも秘密に、と言われているが、何でも、効果自体は高いものの単価がひどく高く、改良を加えている過程のサンプルらしい。正直、不安もあったが母の努めもあり、口にしている。
もう飲み始めて五年にはなるだろうか。
「梨乃ちゃん。学校はどう?」
これは顔を合わせれば必ず出る質問だった。いつも少し心配そうな目で秋乃は梨乃に聞いてくる。
「普通よ。お母さんが心配するような事は何もないから安心して」
薬を飲むための水をグラスに注ぎながら梨乃は少し慎重にそう答えた。
「本当?ならいいんだけど。…梨乃ちゃん、昔はずっと」
「お母さん!」
少し大声になってしまった梨乃に母が「あ」という顔をする。
「大声になってごめんなさい。でも……もう、気にしないで、って言ったでしょう?」
「…そうだったわね。ごめんなさい。つい」
気まずそうに秋乃は押し黙った。その空気を打ち払おうとしたのか努めて明るい声で秋乃は話題を切り替えた。
「ああ、クラスに転校生が来たんですって?珍しいのね」
梨乃もこれ以上、先程の空気を残したくなかったのでその話題にのる。
「珍しいも何も、学園始まって以来だと思う」
周囲に溶け込んでいるようではあったが、どこか異質なあの姉弟の事を梨乃は頭に浮かべていた。
……異質。自分でそう考えて、それが何なのか引っかかりはするものの上手く言葉に表せない。尤も、そこまで母に言う気は起らなかったが。
「そうかもしれないわね。私が学生だった頃にも一度も転入生なんてなかったし」
母親の秋乃も同じ学園の出身だった。もう二十年以上も前、学園設立間もない頃だったそうだ。その頃から今迄、転入生は一度も受け入れられなかったらしい。
それほど、あの学園の転入試験は厳しいものの筈だった。そこまでの試験を受けなくても探せば数校、地域内に高校はある。結果、数少ない移住者で大概の学生はそちらに流れていたのだ。
「・……うん」
そう、あの二人はとても異質なのだ。そんな状況で、あそこまで周囲に溶け込んだように振る舞える、姿が。
(似てる…かもしれない)
戸田美冬と戸田緑……。あの姉弟……。
(瞳先輩が私を見てた目に……)
探るような、分かっているような、不思議な目線。
『見透かしたような顔で人の傷口を抉る所が嫌だって』
そう言った戸田緑。彼はただ、ありふれた好奇心から、事件に興味を持ったのだろうか。
部屋に戻り、体を横たえると梨乃は考えるともなしに今日の事を考えていた。
「抉られる傷……?」
人ひとりが行方不明になった、あの事件自体もそれは「傷」であったとは言える。ただ、その傷口を広げたのは事件でなく他人の「噂」の方だった。
…梨乃自身もそう思っていた。最近では、もういちいち取り合う気も起らなくなってしまったけれど。
元々、クラスに溶け込んでいる、と言える程ではなかったのだが、最近では腫れ物に触るような扱いをされている気がする。その上、何か物言いたそうにこちらを見てくる。
わずらわしく思うのにすら慣れた。
「……そんなもの、もう腐りおちてる」
もう、傷口でなどない。そう思う。
そう言えば。
傷を抉るわけではないが、母も事件に関しては驚くほど何も言ってこなかった。一度、警察が来ていたから事件のあらましは知っている筈なのに話題にすらあげない。
やはり、気を使ってくれているのだろうか。あの人なりに。
秋乃は梨乃の実母ではなく、父の後妻にあたる。 もっとも梨乃が二歳の時に父と結婚したので、梨乃にとって「母親」の記憶は間違いなく秋乃の記憶になっている。
父は五年前から海外出張で滅多に戻らない。父にもきっと何も言っていないのだろうと梨乃は思う。梨乃も短い電話でそんなことを口には出来なかったし、秋乃もそうだろう。
「事件」など知らない人間には起っていないのと同じ事だし、時にはそれでいい。父にまで余計な心配をかけたくなかった。
もうこれ以上、余計な心配なんてかけたくない。そう思っている。
「…ん」
眠りが次第に深くなってきていた。薬が効いてきたのだ。
夢現の中で、梨乃は今日、緑に聞かれたもう一つの質問を思い出していた。
『貴方は・…幽霊…を』
確か、そんな事を訊いていた。可笑しな質問だと思う。そんな非科学的な質問、今更訊かれるとは思わなかった。
(私は、幽霊なんて信じない。だって。あの時…だって)
そして梨乃は夢の中に落ちていった。



ふわふわと柔かい髪が流れ落ちてる。

女だ。

泣いているのか、怒っているのか、はっきりしない。

ただ、物凄い形相で迫ってくる。

あれは、何だったろうか。

あれは、誰だったろうか。

わたしは知っていた。知っていた。

思い出していた。

赤い、赤い、そしてセピア色の世界。

女が迫ってくる。

生きた、その女が、私と彼女に叫んでる。


私は生きたその女を確かに見ていた。


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