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いつだって何処かで、何かが終って始まっている。「終り」も「始まり」も何度も繰り返される普通の出来事。
どの「終り」も「始まり」も誰かにとっては特別で、そして別の誰かにはどうでもいい事でしかない。
もし、その「始まり」を特別に感じられるなら、それは同じ物語を共に見ることができる人間だという事なのだろうか。

序章

白い。
暗闇の中で白が世界を形作っている。
白い薔薇が延々とその場所へと続いていた。
古代神殿を連想させるような建造物を中心に白い薔薇は咲き続けている。
その白い薔薇を折り取る人影があった。ダークブラウンのショートヘアの女性だ。
白衣を身に纏っている所為か、薔薇に囲まれると一瞬、存在に気づかない程、その存在は希薄だった。
小さな花束を作ると女性は神殿の奥に歩を進める。
重厚な造りの扉を開くと、そこは一際暗く、一際薔薇が咲き誇る場所だった。
中央の椅子には銀髪の女性が気だるげに座っている。
「お帰り。リーフ。ああ。薔薇は摘んできてくれたようだな」
見事としかいいようのない銀の長い髪、滑らかな肌、そしてその女性を印象づける最大のものはアメジストを思わせる紫の瞳だ。
「白い薔薇なら此処のものが一番見事だと思いますが、どうして外のものなど?」
アメジストの瞳に仕える身である《リーフ》は小さな疑問を口にする。
「たまには此処以外の花も悪くあるまい」
楽しそうにリーフを見る目と声から、その真意は窺い知れない。
この薔薇の楽園の女王、通称《白薔薇》は気だるげな様子のまま、白い手を伸ばし、薔薇を受け取った。そして、その白い花弁を微笑みながら肌の上に散らしていく。
白い花弁を一枚一枚散らしていく姿は子供のようでありながら、「女王」以外の何者でもないように見える。
「例の件はどうなっている?」
「『葉』の者を呼び集めた件でしたら…滞りなく進んでおります」
質問を予期していたのか、リーフは簡潔な答えを返す。だが、その声は幾分硬い。
「滞りなく、とはどの程度だ?」
紫の瞳が揺らめきながら己の副官を見ていた。
美しく、冷たく、けれど何処までも楽しむ様子を崩さずに。
「…命令の衆知と…白薔薇様が『二人』に施した『記憶』の隔離に関しての成果の確認です」
楽しまれている事を十二分に理解しながら、それでも僅かに滲む動揺は隠せない。
言葉への動揺、というよりは白薔薇の命令への反発と言うのが正しいのかもしれないが。
「『失わせた』事が不満か?」
「………貴女がなさる事に抵抗するつもりはありません」
その言葉に嘘はないと、白薔薇も知っているようだった。
「けれど、納得したわけではなからろう?」
それでも続けられた言葉に、どう答えるべきか、リーフは言葉に詰まる。
「……それは…」
リーフが逡巡する時間は長くは与えられなかった。ふっと笑った白薔薇があやすようにその頬を撫でたからだ。
「白薔薇………様」
「知っている。お前は、それでいい」
優しく、優しく頬と髪を白薔薇の手が撫でていく。
しかし、優しく続くかと思えた言葉は瞬時に冷たい声へと変わる。
「だが、一度失った程度で変わるものなら、構うまい。それも一つの選択の行く末だろう」
皮肉にも聞こえる言葉には不思議な重みがあった。
それは、まるで「喪失」を経験し続けたとでも言うべきか。
《白薔薇》の薄い微笑みにリーフはただ、何処か痛むような表情で答えるだけだ。
そこに、もう言葉はなかった。ただ咲き続ける薔薇が揺れていた。

1 始まりの、始まり。



「白き薔薇と深淵の王。我らが主にして、原罪の女神」
滔々と、その言葉を口にして、美冬は細い指先を宙に這わせた。そして、指先で、そこにはない花のふちをなぞる動作を数度繰り返す。
「何ですか?それ」
二メートル程距離を置いて本を読んでいた緑が、顔も上げずに問い掛けてくる。
興味があるのかないのか、全く読み取れもしない声で。
こうした光景と会話が、二人の――桜木美冬と椎名緑の間での日常となって、数ヶ月が経つ。
「昔、よく言わされたお決まりのセリフよ」
「儀式みたいなものですね。確か、うちでもありましたよ。何かごちゃごちゃしたのが。僕は言わされた事なんてありませんでしたけど」

あれは、宗教において聖典の一部を読まされるようなものだっただろうか。事実、あの組織の形態はある意味で「白薔薇」というものに付き従う宗教組織と言えなくもない。
「それ、白薔薇さんのことですよね?」
「それ以外に何に聞こえるっていうのよ」

「あの人、っていうんでしょうか。素朴な疑問ではあるんですけどね。あの人って、そもそも人、なんですよね?」
……。
「さあ?」
素っ気無く言い放つ。
「さあ?……ですか」
「アンタだって、逆の立場ならそう答えたでしょう?自分に出来ない事を押し付けないでくれる?」
「出来ない、というよりしないんですけどね。僕の場合は」
面倒ですから、なんて付け加えるこの男は本当にタチが悪い。そう考えながら美冬は顔を顰める。多分、いつだって、何よりタチが悪いのはこの男だと思う。
「……何だって、アンタなんか選んだのかしらね。よりによって」
溜息が混ざる。
「そういう言い方されると繊細な僕としては傷付くんですけどね。美冬さん?」
「……嘘吐き」
呟く。
それでも、選んだ。傍に居る相手を選んだ。
…………「此処」が自分で選んだ場所だ。
あの場所から離れて、そして、もう一度向き合うために。

「美冬ちゃーん!!緑くーん!! もういいよー!」
階下から女性の声が響いた。
「だそうですよ。行きませんか?」
「……どうしても?」
往生際が悪い、と言われるかもしれないが、敢えて美冬は問い返す。
「ええ。貴女のお誕生日会、じゃないですか」
へらへらと笑って言われるこれは厭味の一種でもあるのだろうか。しかも、いい年をして、「お誕生日会」という表現もないだろう。
「ああ見えて、萌さんも気を使ってくださってるんですよ。偶には人の好意を受けてみるのもそう悪くはないでしょう」
「あんたのその言い方、厭味にしか聞こえないわよ」
まあ。多分、今のは彼にしては珍しく、そのままの意味で取って欲しかった言葉だったのだろうが。
まさに、日頃の人徳というものか。
「捻くれてますからね。美冬さんは」
それは、あんたの方でしょう、と口にするのだけはとりあえずやめておく。悔しいが、言った所で口では勝てない。
(だからこそ、意外ではあったんだけど)
この男に、多少なりとも気を許せるような人間がいたことが。(母親に対しては別としても)
あの雪の夜を経て数日後、「此処」で何人かの人間を紹介された時に、一瞬自分らしくもなく戸惑ってしまったのものだ。
……何となく、緑には「当たり前のように帰る場所」などないのではないかと思っていた、というのが感覚としては近い。


ともかく。
2016年4月10日――。今日は美冬の十七歳の誕生日だった。
そして、美冬は未だに「力」を揮う術を見出せずにいる。

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