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サロメの刻印4話(2004,9,7up)

「首を持った女の幽霊の噂ってね、出所は十数年前にあった事件だとか…聞いたんだよね」
 そう美冬に言ってきたのは、噂好きらしい少女の一人だった。美冬がその話に興味を持っていると誰かから聞いたのか、噂の転入生と近づきたがっていたらしい少女はそんな風に話かけてきた。
「どんな?」
 美冬は一見何でもない事のように問い返したが、その目は一瞬薄く細められる。
「当時、新校舎の建設工事があってね、生徒が二人なくなった事故があったの」
 新校舎、と言われた校舎にそっと美冬は目を走らせた。今居る場所からは窓越しに新校舎がよく見えていた。
「その二人は仲のいい友人だったらしくて、その日も一緒に工事現場の近くを歩いてたんだって」
「その時、事故が?」
「そう。でも、ここからが悲惨な話でね。落ちて来た建築機材で二人は即死だったんだけど…一人は体、もう一人は頭をつぶされてて…」
 美冬が僅かに顔をしかめる。痛ましい事故だったのだろう。おそらく、遺族はまともに故人を見ることなど出来なかったに違いない。
「それからなんだって。首を持った女の霊が出るって話は。……むこうの新校舎に、ね」
 この旧校舎には、美冬や梨乃たち、一年の教室だけが入っている。旧校舎と言っても度々、補修をしているのか外見はそう変わりないようだった。
「……新校舎は上級生の教室と…職員室が入っているのよね」
「うん。それと、学園長室に…」
 女生徒が続けようとした所に涼しい声が割って入った。
「…生徒会室もよ」
 美冬が長い髪を流しながら振り返るとそこには梨乃が立っていた。
「おはよう。片倉さん」
「おはよう。……朝から随分な話題してるのね」
「そうだね。今の話ってココの生徒は皆知ってる話なの?」
「以前はどうだか知らないけど、ここ半年くらいで随分広まったみたい。……今は、知らない人を探す方が難しいんじゃない?程度の差こそあれ、ね」
 それが、暗にあの行方不明事件の事を言っているの事は誰にでも分かっただろう。努めて冷静にそれを口にした梨乃も、相手の反応に身を硬くしている自分に気づく。
 事件に梨乃が関係しているらしい、という無責任な噂はすぐに広まった。梨乃が何か少しでも事件を連想させるような事を言えば、相手の反応は決まっていた。眉をしかめるか意味不明な笑いをうかべるか、あるいは気にしていないという口ぶりで別の話題を振られるか。
 だから、美冬の反応は少し意外だった。
「和倉さんは?」
「え?」
 そう言われた事に戸惑った。
「和倉さんはいつ頃、知ったの?」
 それが、梨乃が噂を知った時期について訊いてる事に、数秒遅れて気づいた。
「少し…前」
 そうだ。その話を聞かされたのは…。

『最近、幽霊を見たって話、よく聞かない?』

『あの霊の元になった話…よかったら聞いて』

「瞳先輩に聞いたの」
 噂話は友人たちとの何気ない会話の中で広がっていく。その頃から、他人に一歩距離を置かれている感のあった梨乃はその噂自体についても断片的にしか知らなかった。
 そう言った梨乃に瞳は噂話自体の説明からゆっくりと話を始めた。
 そして聞いた話は、痛ましい事故と、痛ましい少女達の物語だった。
「それって、行方不明だっていう先輩?」
 美冬が問いかけてくる側では話の流れに興味をしめしたらしい女生徒が素知らぬフリを装いながら耳を澄ましている。それに煩わしさを軽く覚えながらも答えようとしたときだった。
 突然、鈍い痛みが走った。
「そう。……っ!…」
 思わず言葉を詰まらせた梨乃の顔を美冬がそっと覗き込む。
「どうしたの?」
「…ごめんなさい。いつもの頭痛…。気にしないで」
 昨夜も薬を飲んだというのに、もう効果がきれたのだろうか。
「保健室行った方がいいんじゃない?」
休み時間の終了を告げるチャイムが美冬の声にかぶって、痛む頭に響いた。

「…薬なら、あるから。戸田さんも教室に戻って先生に言っておいてくれる?」
 そう言うだけ言って、梨乃は頭を抑えながら水飲み場に足を向けた。




「偏頭痛?大変だね。いつも薬持ってるんだ?」
「……戸田さん…?授業はいいの?」
 薬を飲み終えて息をついた梨乃が気づくとそこには美冬が立っていた。
 何でもないように笑いながら美冬が答える。
「貴方が心配だから、って抜けてきちゃった」
「…いつもの事なんだし、気にしないで、って言ったのに……」
 気遣ってもらうのは迷惑、とまではさすがに思わないものの、梨乃としてはやはり困惑する事だった。気にされない事に慣れてもう随分たつのだ。
「昔から…なの。入学当初は何人か気も使ってくれたんだけど、今じゃ皆、いつもの事ぐらいにしか思ってないわ」
「そう」
 それは、怒りを覚えるような事ではなかった。むしろ気遣ってもらうより、余程楽だった。気遣われると申し訳ない気分にいつも襲われたから。だが、やはり時折、寂しい思いにもかられるのも確かではあった。
 美冬はそれ以上、特に何か言うわけでもなく、黙って立っている。慰めようとも否定しようともせず梨乃の言う事をただ、黙って聞いていてくれるつもりなのが判った。そして梨乃は何となく、口を開いていた。
「さっきの話ね…、続きがあるの」
「女の幽霊の?」
 梨乃は頷く。
「幽霊なんて非現実的だけど、もし出るとしたらそれは何らかの理由があるでしょう?」
 今度は美冬が頷いた。
「噂では、体を無くした少女と、頭を無くした少女が、一緒に欠けた体を探してさ迷ってる…って事になってるけど…瞳先輩は違うって言った」
 落ちる日の逆光を受けながら瞳は静かに『違う』と口にした。そして続いた言葉を梨乃はゆっくり思い返していく。
「…その事故が起こる少し前に…二人の少女達がケンカしたんだって。理由は一人に恋人が出来て、二人の事よりその恋人を一人が優先するようになった事だった。…ありふれた理由よね」
 本当に、よくある話なのだ。そこまでは。
「でも、もう一人にとってそれは耐えられない事だった。表面上仲直りしたように見せても、それはこれ以上、友人に嫌われないため。心の中はいつも焦っていた」
 自分の声に瞳が話している声が被っているような錯覚に陥る。
『そして、事故が起きて二人は死んだ。きっと、痛くて苦しかった…。でも、少女は友人を引き止める事が出来たの。霊が現われるのはね、自分の手で抱えた友人の首を見せびらかすためなのよ。……これがお話の本当の理由だよ。梨乃ちゃん』
 まるで、何かに陶酔しているかのように瞳はその話をした。その声はまるで歌を口ずさむ小鳥のように滑らかなものだった。
 その奇妙な違和感に言いようの無い寒気を覚えて、触れようとしてくる瞳の手を反射的に梨乃は振り払っていた。それに対し、瞳はしばらく反応を見せなかった。そう…だった。あれからだ。瞳が目に見えて梨乃を避けるようになったのは―。梨乃が瞳を避けるのなら理由も分かる。だが、瞳は「拒絶」に対し過敏とも言える拒絶を返してきたのだ。
「……それ、本当?」
「知らない。その後、何人かの話を盗み聞き?…したんだけど、誰も瞳先輩が言ったような話はしてなかった」
「興味深い…説って言えばいいのかな?でも、それ、少し『サロメ』を連想するね」
「…瞳先輩もそう言ってた…けど」
 そういえば、美冬と初めて会った時読んでいた本は「サロメ」だった。瞳の言葉が気になって読んでいた本だったが、何かのモチーフとしてよく使われるのも分かる気がした。
 瞳は確かに『サロメ』を引き合いに出して笑っていた。

『ねぇ、梨乃ちゃん。『サロメ』みたいだね。恋しい人の首を手に入れてサロメは首に接吻するの。生身では手に入れられなかったけど、その首は接吻を受けてくれるのよ』

 あの人がまるで楽しそうにそれを話すのを、気味が悪いと思ってしまったのだ。いや、正確に言うならば、「そうやって、楽しそうに話しながら梨乃を見る瞳」に怯えた、と言うのかもしれない。
「瞳先輩ってどんな人だったの?」
「え?」
「そういう話、好きな人だった?」
 実際、どんな人だった…と聞かれても困る自分に梨乃は気づく。会話自体が少なかった訳ではないが、梨乃にとって瞳はどこか真意を掴み辛い人間だった。
「…怯えてる…人だった」
 美冬は黙ったまま先を促すように梨乃を見ている。自分の中から搾り出すように梨乃は答えを探る。
「よく…分からないけど、そういう印象がある。何かをすごく怖がってる…みたいな。あの人二人きりの時、よく言ってたの。『怖い』…って」
「何が?」
 何が…怖かったのか。
『梨乃、私…怖い』
 瞳は何度もその言葉を吐いた。
「分からない。最初に聞いた時に、『何が?』って訊いたけど…ただ、怖いって繰り返すだけで…。しばらくして落ち着くと謝ってきたけど、その時も何も言わなかった。ただ……言った」
 瞳は何と表現したら言いか分からない不思議な表情を浮かべて言ったのだ。
「『……梨乃ちゃんはこわくないの?……だって…』」
 「だって」その言葉は何と続けられる筈だったのだろう。何度訊いても困ったように瞳は笑うだけだった。あの日、『サロメ』を口にして笑った時とは別人のように。
 だが、その困ったような笑いが一番瞳らしいような気もする。
「あの人は…何を言いたかったのかな…」
 半ば、答えを期待して呟いたそれに美冬は軽く瞳を閉じたまま、答えた。
「人が、本当に何を言いたいかなんて分からないわ。勿論、本人にもね」
 穏かなようで、何か鋭さを含んだ声に、梨乃は目の前の少女が別の生き物のように思えた。悟りきったようにこんな事が言えるものなのだろうか。それは思春期によくあるような投げやりな言い方ではなく、何か…人生経験を積んだ年長者のような言い方だったのだ。
「それは…そうだけど」
 戸惑いながらも美冬を見ようとした梨乃は、彼女の視線が自分の手元にある事に気づいた。
「戸田さん?」
 手元には先ほど飲んでいた薬があるだけだ。
「薬」
「え?」
「製薬会社の成長はね、新薬の開発にかかってる。それもただ、数を出せばいいってものじゃない、副作用が少ない、今までにない画期的な効果がある、そういうものをいかに発表できるかが会社の成長に掛かってる」
 突然、美冬が言い出した事の意味が分からない。
「結構、製薬会社には兼業メーカーも多くてね、薬開発の技術を応用して食品なんかを作ってる企業もあるから、一概に何処を大手と言うか分からないけど」
「戸田さん!?それが今何の関係が」
「貴方のお母さんが勤めている「TOKIMURA」は製薬会社の中でも新薬の開発に於いて一目置かれている会社なのよ」
 言い募ろうとする梨乃を押し留めて美冬は一気に言葉を吐いた。
「……そんな事、知ってる」
 半分は嘘だ。母の仕事が製薬会社の会長秘書なのは知っていたが、会社の細かい事情など聞いてはいないし、調べた事も無い。
「それ、正規の製品じゃないよね。製品番号も入ってないし」
「…そうよ。だから何?」
「どうして、そんなものを飲んでるの?」
 また、だ。また、この戸田美冬という少女が別の世界の人間のように見えてくる。別人のような怜悧な唇。
「世の中に偏頭痛持ちなんて山ほどいるわ。投薬実験するにしたって、貴女みたいに若い少女を使わなくても成人男女がいくらでも、ね。」
「変な含み持たせて話さないで!いきなり何言い出すの?」
 それに美冬は答えない。
「一度、よくお母様に訊いてみた方がいいわ」
 何を聞けというのか。まったく考えがまとまらない。そんな梨乃の様子に頓着せず、美冬はさっさと話を切り上げる事に決めたようだった。にっこり、いつものような穏かで優しい笑みで梨乃に向き直る。
「今日は、お話ありがとう。おかげで、いくつか判った事もある。だから、この忠告はお礼よ」
 
そして、もう教室に戻れる?、と何でもない話の続きのように彼女は言った。


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